会員だより

解放の喜び 1983年 イ・イ戦争下のイランにて


出羽 正義(学10EB)


商社員の私は1983年7月末イランへの出張に飛びました。 初めての中東地域への出張。輸出した編み物用の糸が製造工程で切れて製品ができないとつけられた10万ドルのクレーム処理交渉のためです。 メーカーの方二人とテヘランから約600km東にあるこの糸を使用中の工場が在る、イラン第二の都市Mashhadへさらに飛びました。 広い高原に高層建築は見えない、だらだらと広がる人口約百万(今は3百万)、Afghanistan国境に近い町。 早速工場に入り点検すると、稼働の途端糸が切れて機械がとまる。主として針の穴のところで毛虫のように膨らんで、それが詰まって機械が止まる。 丸二日あれこれ改善をトライしたが、あまり効果なく、ともかくテヘランに帰って日本に報告をすることにしました。 ところが当時のイランはイ・イ戦争の真っ最中。民間機も徴用されて便数が一日に1,2便に減らされていて、予約はとれない(袖の下も効かない)ので3日連続空港に出かけ待機したがダメ。 と、3日目の夜代理店から翌日は乗れるかも知れぬから、ともかく早く空港に行き待機せよ、との電話。 わっとばかり、翌朝3人の荷物をタクシーのトランクに積み込み空港に向かう。 さあ着いたと、運ちゃんがトランクを開けようとしたが、なんと開かない! 運ちゃんがいろいろやるが開かない!? 周りの運ちゃん達がやるが開かない! 泣きたい気持ち。 一人が後部座席の背を外せば出せる、というので、やってみるとなんとトランク・ルームと座席の間に丈夫な鉄の棒が十字に渡されていて、ダメ。とほほ。 誰かが、市内に修理工場が数軒固まったところがある、そこへ行けと言う。時間が足りるか? だが万策尽きた、やるほかない。 取って返し、3軒目の工場で職人がカギを入れたら、パ―ンとバカみたいに跳ね上がって開いた!!  そのまま、閉めるなよ、と毛布を突っ込んで、飛行場に引き返した。そして、3人無事に乗れてテヘランに帰着したのでした。


テヘランに帰り、私は客先のオーナー(ペルシャ帝国の兵士みたいな、でっぷりの親父)との交渉に入ったが10万ドルはびた一文まからぬと、交渉は進展なし。 日本で検討の他無しとなり、帰国便を取ろうとしたが、これが取れない。各国の航空会社はテヘランへの飛行を取りやめていた。当時会社の現地独法事務所には10名以上の出張者が帰国便が取れず滞留中。 皆さん事務所に出て、出国便が取れるか夕方まで待ってダメとわかると、すごすご宿舎に引き返す毎日。 イスラム革命後はアルコール飲料は絶対禁止。イスラミック・ビールは最初ののど越し後はまずくて飲めぬ。憂さを晴らす方便もなく焦燥は募るばかり。 そうして10日位経った頃でしたか、突然ギリシャのアテネまでだが、KLMが6席取れる、との話が飛び込んできました。私はその一人に入れて貰えたのです。 そうして8月21日にKLM機で午後アテネ着、ホテルに入りました。


夕刻、6名でイラン脱出を祝おうと、アテネの外港Piraeusにタクシーを飛ばし、エーゲ海を望む砂浜にテラスを張り出したレストランで、パラソル付き丸テーブルに席を占めて、イランでは絶望していたビール(アルコール入りですよ)と海鮮料理をオーダーしました。 夢に見たビールが目の前に現れ、ジョッキを上げて前を見ると、エーゲ海の水平線に夕闇が迫る中、今まさに欠けるところのない真ん丸い、赤みがさした黄色の卵の如き満月が昇って来る!  みんな感激、大声で「かんぱーい!!」と絶叫しました。 「これが自由だ、ばんざーい」。解放された喜びに浸りました。 忘れられない一瞬になりました。

以上




(別記) 上記の2年後、イ・イ戦争で互いに都市空襲を応酬する中、1985年3月17日に、イラクのサダム・フセインが「イラン上空を飛ぶ航空機は全て無差別に撃墜する、但し、48時間の猶予を与える」と宣言。 この時テヘラン空港には、出国を切望する日本人が200名強日本からの救出の飛行機を待っていました。 ところが、JALは労働組合があまりに危険と飛行を拒否、自衛隊は外国への自衛隊機の派遣は憲法上問題あり、また民間人救出例はないと、派遣に応じませんでした。 で、時の特命全権大使は、トルコ大使に救出の飛行機の派遣を懇願しました。 トルコはやはりテヘラン空港で救出を待っている自国民のために、瀬戸際で飛行機2機をテヘランに派遣したが自国民より先に日本人を搭乗させて、Istanbulに救出したとの美談があります。 これは1890年親善のため日本を訪問したトルコ軍艦が紀伊半島沖で台風のため遭難した際、付近の日本人がトルコ兵の救出に多大の貢献をしたことに対してトルコが恩義を現したものだとも、伝えられています。 日・トルコ合作の映画「海難1890」に描かれました。〆

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